16年前のシュー太郎氏
年末にまたどこかにぶつかって左目の角膜に傷のついたしゅーたろさん。
治ったかなと思ったら今度は右目で、新しいお薬をもらいに動物病院に行った。お散歩がてらと思ったのに、その日はどうも歩きたくなかったらしく、ほとんどの道のりを抱っこして行った。
後脚がかなり弱ってきたことなど話してたら、獣医さんが言うには、女の子は立って歩けなくなってもけっこう何年も生きるけど、男の子は寝たきりになったら早いということだった。
もうすでにご長寿さんなのだから、今歩けるだけでもすごいと思うのだけど、暴れん坊だっただけにちょっとカナシイの。とにかくこの冬はあっためて、マッサージやストレッチ、歩くトレーニングも欠かさずに、なんとか自力歩行をキープしよう。
きょうは雨が雪に変わったのを見計らって図書館へ。
お散歩はできないけど、お留守番で歩き回っているのも冷えるかなとスリングに入れて連れて行ったら、中でフガフガ文句言ってる。出してやったら、スタスタスタスタ快調な歩きだ。雪が降っているっていうのに。
いや、雪が降っているからうれしかったのか?
スタスタ歩いているだけで私はうれしいぞ。
急に暴れん坊時代のシューが見たくなった。
うちの実家に来て初めての冬だからちょうど16年前。
ちなみに「マッパ」のシュー太郎もこのころは物珍しさでたまに服を着せられていた。
ぶさかわいかったなあ。
今もかわいいけどさ。
辻邦生山荘のこと
辻邦生という名を知ったのは、高校のころ読んでいた北杜夫の友人として文中に登場していたためであった。もう少し大人になって辻邦生に目覚め、読み終わってしまうのが惜しくて、おいしいお酒をちびちびと味わうように味わって読んでいた。20〜30代には文学や美術など芸術分野に関するあらゆることや思想的に、かなりの影響を受けた作家である。
その後40代でヨガに出会い、7才で芽生えたキリスト教文化系の趣味は徐々にインドに侵食されていった。ヨガに夢中になってからも、私はヨーロッパが好きでインドは好きじゃないんだと、ことあるごとに抗ってきたのも虚しく、インド嫌いがインド漬けになるという人生の大転換が起こったのだった。
文学からもヨーロッパ美術からも遠ざかり、断捨離でほとんどの本を処分したが、辻先生の本はさすがに捨てられず、実家の物置に保管されていた。それから十数年を経た昨年、それらの本は軽井沢のリトリートハウスにある小さなライブラリコーナーに再び居場所を与えられた。
軽井沢は辻先生の愛した場所であった。
先生が軽井沢の山荘滞在中、買い物に出かけた先で倒れてそのまま亡くなられたのはもう20年も前のこと。ようやく本棚に並んだのが軽井沢というのも何かの因縁のような気がしていた矢先、ひょんなことから先生の山荘見学会があることを知った。
2011年に奥様が亡くなられたあと、山荘は軽井沢高原文庫に寄贈されたが一般には公開されていない。年に2〜3回という限られた機会と人数で見学会が行われていることも知らなかった。タイミングよく10月の回に申し込むことができたのも、軽井沢がとりもってくれたご縁というべきか。
所在地は非公開で、撮影は外観のみ。
1976年の建築ということもあるが、実に別荘というよりは山荘と言ったほうがふさわしい。磯崎新による設計の、つましい、それでいて意匠をこらした、センスのいい作家の家である。
先生と交流の深かった高原文庫の方が、さまざまなエピソードを交えながら中を案内してくださる。
16人ほどの参加者は別荘建築に興味のある方と辻邦生ファンとが混じっているようだったが、中にはパリのデカルト街にある、先生が住まわれていたアパルトマンにも詣でたことのある熱烈なファンの方が二人いらした。自分以外の辻邦生ファン(生)に会った私にとって、作品名でいろいろが通じる人たちとともにその場所にいることは異次元感覚であった。
内部は休暇を過ごす家というよりは夏の仕事場で、居間や食堂・キッチンなどはこぢんまりしている。ダイニングの吹き抜けを真ん中にして中二階的な空間の左右に先生と奥様の仕事部屋が配置されている。部屋といってもドアはなく、立ち上がるとお互いの姿が確認できるようなつくりになっている。
先生の仕事部屋は20年前の亡くなった当初のまま保存されていた。執筆に使われていたBの鉛筆やら鉛筆削りは、まるで昨日までそこで原稿を書いていたかのようである。書棚に並んでいる本に私が愛した辻邦生ワールドを見て、感激で胸がいっぱいになり涙が溢れてきた。それは理想と憧れを抱え、まだ青かった自分自身に対するセンチメンタルな涙であったかもしれない。
タイムマシンで30年前に遡り、当時の自分に会ったような......。
帰ってきて、いただいた資料を読み、また感激。このあふれるような思いは20年のブランクをものともしない。そしてその思いはどうやっても言語化できない。言語化できないから涙になるのだと思う。
ご縁といえば、もうひとつある。
リトリートの集合場所は信濃追分というローカル鉄道の駅なのだが、信濃追分というのは水村美苗の『本格小説』という小説の舞台になっているということをメールで教えていただいた。
水村美苗さんは『手紙、栞を添えて』で辻先生と往復書簡を交わされた方。早速、軽井沢書店という地元の本屋に行って、軽井沢を舞台にした小説コーナーで『本格小説』を買ってきた。
今年は少しインドを離れて、肉体労働の手も休めて、辻先生の本を読み返してみたい。
おじいちゃんのお口......
先月お山で歯を磨いていて虫歯らしきものを発見した。東京に戻ったら歯医者に行こうと思いつつ、痛みはないので日中は予約するのを忘れて、電話したのが仕事納めの27日。正月明けの本日ようやく診てもらった。
そうしたら思いの外に大きな穴が空いており、削っているうちにまともに残っていた部分もポロッと欠けて取れた。今回は普通に麻酔して普通に治療してもらっており、仮歯も別になくてもいいと思ったが、言われるがままにつくってもらった。
「おもちを食べると仮歯がとれやすいので食べないようにしてください」と言われて、お正月にさんざん食べたあとに治療となったのは不幸中の幸いだったと思っている自分よ。その食い意地が虫歯をつくっていることを反省するがよい。
さて、80越えのシュー太郎氏はまだまだぜんぜん硬いものもイケル。
さすがにリードを噛み切ったり、ハウスを食いちぎったりはしなくなったけれど、年末に練習生のおせんべいを盗み食いした。
しかし、さすがに老犬だ。
これまでは犬のガムや硬いアキレスなどを与えていたのだが、昨年お腹の具合が悪くなってからやめている間にすっかり歯石がついてしまった。さらに、以前にも増して歯磨きを激烈に嫌がるようになって、口腔内の状態は悪化の一途をたどっていった。
「おじいちゃんのお口くさい!」
抱っこして思わず叫んだこともしばしば。
それもこれもすべて飼い主の責任だ。
決死の覚悟で指を突っ込んで歯を磨いていたら改善された。入れ歯だったらポリデントできるのに......。
あとね、歳を取ってからというものカラダにイボとかデキモノがでてきた。
アゴの下にできたのを放置していたらどんどん大きくなった。
同じタイプのがお腹にもできて徐々に大きくなってきたので、以前獣医さんから聞いたことのある「糸で縛っておけばポロっととれる」という方法を試してみた。
ら、ほどなくして萎んでいってカサブタのようなものになった。要は栄養源を断ち切ってしまうということだね。
で、今さらながらアゴのほうも縛ってみたが、こっちはちょっと大きすぎるというか絞りきれないようで効果なし。
次々に問題は浮上してくるが、ひとつひとつ、地道にクリアしていくしかないさ。
そんな私たちですが、今年もよろしくお願いします。
流血事件
8月を最後にトリミングサロンでカットするのをやめた。
そろそろ自分でやろうかなと思っていたところに、大幅な値上げのお知らせがあったので、ちょうどいい機会だと。
というのも、グルーミングはほぼ丸投げしていたので、散髪のたびにカラダの異変について知らせていただくのが飼い主として情けないというか、不甲斐ないように感じていたからだ。
以前、主に節約のために自分でカットしていたときがあったから、さほど抵抗はなかったものの、目や耳が不自由になってからコマンドが効かないためにハサミがちょっと危ない。が、バリカンを導入したことでだいぶ楽にできるようになった。
ただねえ、ちょっとイヤだったのが爪切り。
シューがうちの実家の子になったばかりのころ、元祖飼い主だった母は爪切りを怖がっていた。前に飼っていたマルチーズのちーちゃんは爪が白かったのでどこまで切って大丈夫か透けて見えたけれど、シューの爪は黒くてそれが見えないのだ。
ワクチン接種のときにそう言って獣医さんに切ってもらった。
獣医さんは、なあに、そんな怖がらなくても大丈夫と言って、ぱちんぱちんと切っていったのだが......、
「あ!」
切りすぎて血が出てきた。
やっぱりプロでも切りすぎてしまうのを見て、母はいっそう爪切りが怖くなったし、他人事として見ていた私もビビった。
そのトラウマがあるだけに爪切りは自分でやってこなかったのだけど、人任せにしないと決めたからには避けて通れない。
おそるおそる。
おっかなびっくり。
鼻うがいじゃないけれど、怖いというのはやってみないから怖いわけで。
やってみたら案外大丈夫だった。
というわけで、爪切りクリア!
ところで、事故というのは大半が気の緩みから起こる。
先日、もはや大した恐怖心もなく軽い気持ちで切っていたら、じわっと流血。
あ、やっつまった。
とは思ったが、血が出ても犬は痛がるわけではなく、キャンとか鳴いたりもない。
キッチンペーパーで拭き取ったのだけど、血がどんどん出てきて紙が真っ赤に染まっていく。
げ、止まらない。
そこで初めて、こんなときどうすればいいか知らないことに気づいた。
獣医さんのところで血が出た時は、何やら止血剤的なものをつけていたが......。
クリニックに行かねばならぬか?
とりあえずホメオパシーで処置しようと、止血の効果があるアルニカを与え、まわりが血にまみれないよう脚を布でぐるぐる巻きにしてスリングに入れ、Google先生に尋ねてみた。
止血剤がないときは小麦粉で代用せよ。
なーるほど。子犬を初めて飼う初心者向けの心得だけど、恥ずかしながら今さら知った。
でも、うちには小麦粉がない。歯の炎症の原因となることがわかってから、小麦粉買ってないのよ(食べてるけどね)。
→そんなときは片栗粉やコーンスターチでもよい。
片栗粉を水で溶いて塗り、どうやら流血が治まったのだった。
ふう。
シュー太郎氏には平謝りだ。
爪を切る時は少しずつ切って、粉っぽくなったら血管が近いのでストップするのだとも書いてあったので、次からは気をつけるよ。
ニコちゃんとおじいたん(+おばあたん)
ニコちゃんが遊びに来た。
うちのおじいたん、いつもならグースカ寝ている時間なのにソワソワしちゃってる。
さあ、CHAZEN米で詫び飯をいただきましょ、ってとき。
おもむろにおじいたんがおひざに乗っかってきた。
明らかにニコちゃんを意識してる。
なんだなんだ、対抗意識燃やしてるのか?
ニコちゃんはぐずったりもせず、ずっといいこにしていた。
それで、思わず歌ったのが、ニコちゃんの歌。
ニコニコニコちゃん いつもよいこ♪
しかし、その場の誰ひとりその歌を知らなかった......。
なんですとー?!
あの有名なロンパールームの歌を知らないって?!?!?!
おばあたんはググってみた。
あった。
古っ!!!
しかし、それより目を奪われたのは次の動画であった。
https://youtu.be/e8-3sTc519Q
ブーフーウー 1/3
大好きだったブーフーウー!
なつかしい。けど、気絶しそうに古い。
うちにカラーテレビが来たのはたぶんこの3年くらいあとだったと記憶する。
こんな時代に育ったのかー、おいらは。
そりゃあおばあたんにもなりますわな。
白髪も順調に生えそろったし。
あー、浦島なみに一気に歳をとった気がする。
おじいたんも撃沈@お膝の上。
シューの世界は今どんなだろう
弱っていたのは冷えもあるが、フードの量が足りなかったのかもしれない。消化吸収がよいというフードに切り替えたのだけど、吸収がよいだけに、標準の給餌量が今までのフードの半分くらいなの。全身是食欲のしゅーたろさんには少ないと思って増量していたけど、思い切って基準の給餌量をはるかに上回る量を与えたら、少ししっかりしてきた。
でも、状況把握が著しく劣ってきた。
今まではお店の前につないでおくと、瞬時に大きな声でワンワン吠えて抵抗して1分でも待っていられなかったのが、最近は何が起こったのかわからないらしく、ぼーっとつながれたままいる。
かつて図書館の前につないでおいたら、ご近所さんに通報されたこともあるので、おとなしく待っていてくれるのはありがたいのだけどね。それに、つないだ瞬間にリードを噛み切って脱走を図ることもしなくなったのも、助かるけどね。
できれば老化によるものでなく、しつけの成果であってほしかったわ。
先日もお山で、歩いてる途中でリードを放して、シューがこっちに向かってくるところを撮影しようとした。定番の手法なのだけど、その場でじっと止まってしまった。振り返ることもせず、呼んでも反応せず。
耳はまったく聞こえないわけではないらしく、物音には反応したりしなかったり。ただ、呼んでもどこから音が聞こえているのかわからないらしく、呼んだほうにはやってこないし、すぐそばに居るのに踵を返して反対のほうに行ってしまうのだ。
至近距離になると私のいるほうへ来るので、ある程度は目も見えている。
たとえば、森の家の庭で作業しているとき、目を覚ましたシューが私を探してウロウロしているので、窓を開けて「シューちゃん」と呼ぶと、その声には反応するのだけど、視界には入らず、音のする方向もわからずで、反対のほうへ向かって私を探している。
餌をあげるとき、どこにあるのかがよくわからないみたいで、しばし探したのちにすごい勢いで食べる。
それで水の容器に足を入れてしまうことが多くなったので、お水入れは足のついたトレーに上げておいたのだけど、こないだはそのトレーに乗り上げて水をこぼしていた......。
いったい今、シューたろさんの五感はどのようなことになっているんだろう。
どんな風に聞こえて、どんな風に見えているのか。
まだ五体満足の私にはよくわからない。
いや、シューも五体はとりあえずまだ満足だ。五感不満足なだけだ。
私にその気持ちが実感されるまであと20年くらい必要なので、今は想像してなんとかするしかない。
イヌも半身浴
余裕のよの字もなかった9月10月を経て、ようやくこっちブログにも復活よん。
さて、お山に通い始めてからメキメキと元気になっていったシュー太郎氏であるが、このところまたもや弱ってきた。例によって内臓がうまく働いてないようだし、一時ガッシリしてきていた体格がまたガリガリくんになりつつある。
足腰の踏ん張りが効かず、ヨタヨタしていることもあるし、昨日わざわざ書類の上を歩いてぐちゃぐちゃにしたので、「んもー。ちょっとあっちにいって」と胴体を押したら、そのまますってんころりんと転がってしまった。
元気なのに慣れてしまって力加減を気にしていなかった。けれど特別強く押したわけでもないのに、まるでDVというか虐待したような形になったので、あわてて抱き上げてごめんごめんと。
親が老いてきたときもそうだけれど、こんなときはちょっとカナシミにとらわれる。
押してもびくともせず、叱られても屁でもない、憎ったらしいところが取り柄のはずだったのにな。
でも、いつまでも若いときと同じであるはずがない。そういうものなのだ。私自身も遠くない将来そうなるのだ。それが無常ということだ。
ひとつ気づいたことがある。
それは調子の悪いときはイヌもヒトと同じように冷えているということ。
マイソールクラスでヒトの身体を触っていると、体調悪いヒトがその冷えによってわかるのだけど、同様にシューの四肢も冷えている。お灸とか鍼をしてあげたいけど、とりあえずは半身浴だしょ。
ってことで。
洗濯物用の容器がジャストサイズ。
風呂嫌いのシュー太郎氏なので嫌がるかと思いきや、地獄谷温泉のおサルさんよろしく気持ちよさげに入っている。すぐに目がトロンとしてきた。頭が後ろへのけぞっていく。
この冬はいかにあっためるか。イヌの冷えとりを考えてみたいと思う。
シルクの靴下重ねばきか?