喜心
月曜ムーンデイ休みだったので、一年以上ぶりに葉山の坐禅会へ。
終了後、イモートと待ち合わせて鎌倉の朝ごはん屋さん「喜心」へ。
カウンター席はやっぱりワクワクする。
向付として冬瓜。
それぞれ作家さんの違うお茶碗の中から好きなのを選ばせてくれる。うつわの趣味が私好み。
いま、食器を究極に(理想はキャンプ生活)断捨離するプロジェクトが進行中なのだけど、そそ、こうやって外で楽しめるから捨てちゃってもいいや、と背中を押された。
ごはんが炊き上がり、まず「煮えばな」が出される。蒸らす前の、まだ芯のあるのをちょこっと出してくれるのだ。
そして三種類から選べる汁物は、けんちん汁とどちらにするか迷ったが、めずらしさが優って「海鮮のトマト汁」に。
そして、ごはんは蒸らす時間の経過による変化を楽しめるようにと軽い盛りで出てきて、何度かおかわりする。
次にお魚がやってきた。
最後におこげを出してくださるの。
写真撮り忘れたけどあとお漬物がついて、以上が朝食のコース(アラカルトで、卵とか納豆、海苔などが追加できるようになっている)。
これで2,700円也はお高く思えるかもしれないけれど、それだけの値打ちがあると感じる。
なんたって私は旅館の朝ごはん的なメニュー、つまり、ごはんと味噌汁、お漬物、あっさり系のおかずが最高に好きだから、豪華なコースとかいらないの。
でも、ここでいただくのは朝ごはんというよりも、おいしく食べていただこうというその「心」。手間暇かけているし、その「心」があるスタッフが揃わないと成立しないと思うのよね。
ちなみに「喜心」というのは禅の言葉。星覚 著『お坊さんにまなぶ こころが調う食の作法』ディスカヴァートゥエンティワン刊にはこう書いてある。
道元禅師は食事を作る際の心構えとして「喜心・老心・大心」の三つの心を挙げました。「喜心」とは巡り合わせを喜ぶ心。仏教ではすべてのものには実態がなく因縁が集まってできていると考えます。人間が小さな原子の集合であるという科学的な事実を鑑みると「ワタシ」という存在も組み合わせを少し間違えれば石ころや虫、木の実だったかもしれません。たまたま人間として生まれ、しかもその人間の命を維持する尊い仕事を認識する運命に出逢うのは奇跡的なことです。そのことをまず喜んで調理にあたるという心が食における喜心です。
おいしい飲食店は山ほどあるけれど、そこで過ごす時間全体を楽しめるお店はそう多くはない。小さなぜいたくをしに、また鎌倉へ行こ。
帰りにおいしい白米を買ってきて、今日は煮えばなとおこげを再現し、余韻にひたる。
やっぱり、ごはんほどおいしいものはない!