ちゃみっ気

ちゃみ&シューの備忘録

辻邦生山荘のこと

辻邦生という名を知ったのは、高校のころ読んでいた北杜夫の友人として文中に登場していたためであった。もう少し大人になって辻邦生に目覚め、読み終わってしまうのが惜しくて、おいしいお酒をちびちびと味わうように味わって読んでいた。20〜30代には文学や美術など芸術分野に関するあらゆることや思想的に、かなりの影響を受けた作家である。

その後40代でヨガに出会い、7才で芽生えたキリスト教文化系の趣味は徐々にインドに侵食されていった。ヨガに夢中になってからも、私はヨーロッパが好きでインドは好きじゃないんだと、ことあるごとに抗ってきたのも虚しく、インド嫌いがインド漬けになるという人生の大転換が起こったのだった。

文学からもヨーロッパ美術からも遠ざかり、断捨離でほとんどの本を処分したが、辻先生の本はさすがに捨てられず、実家の物置に保管されていた。それから十数年を経た昨年、それらの本は軽井沢のリトリートハウスにある小さなライブラリコーナーに再び居場所を与えられた。

軽井沢は辻先生の愛した場所であった。
先生が軽井沢の山荘滞在中、買い物に出かけた先で倒れてそのまま亡くなられたのはもう20年も前のこと。ようやく本棚に並んだのが軽井沢というのも何かの因縁のような気がしていた矢先、ひょんなことから先生の山荘見学会があることを知った。

2011年に奥様が亡くなられたあと、山荘は軽井沢高原文庫に寄贈されたが一般には公開されていない。年に2〜3回という限られた機会と人数で見学会が行われていることも知らなかった。タイミングよく10月の回に申し込むことができたのも、軽井沢がとりもってくれたご縁というべきか。

所在地は非公開で、撮影は外観のみ。

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屋根を樹木が突き抜けている


1976年の建築ということもあるが、実に別荘というよりは山荘と言ったほうがふさわしい。磯崎新による設計の、つましい、それでいて意匠をこらした、センスのいい作家の家である。

先生と交流の深かった高原文庫の方が、さまざまなエピソードを交えながら中を案内してくださる。

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場所は非公開でもプレートは立っている


16人ほどの参加者は別荘建築に興味のある方と辻邦生ファンとが混じっているようだったが、中にはパリのデカルト街にある、先生が住まわれていたアパルトマンにも詣でたことのある熱烈なファンの方が二人いらした。自分以外の辻邦生ファン(生)に会った私にとって、作品名でいろいろが通じる人たちとともにその場所にいることは異次元感覚であった。

内部は休暇を過ごす家というよりは夏の仕事場で、居間や食堂・キッチンなどはこぢんまりしている。ダイニングの吹き抜けを真ん中にして中二階的な空間の左右に先生と奥様の仕事部屋が配置されている。部屋といってもドアはなく、立ち上がるとお互いの姿が確認できるようなつくりになっている。

先生の仕事部屋は20年前の亡くなった当初のまま保存されていた。執筆に使われていたBの鉛筆やら鉛筆削りは、まるで昨日までそこで原稿を書いていたかのようである。書棚に並んでいる本に私が愛した辻邦生ワールドを見て、感激で胸がいっぱいになり涙が溢れてきた。それは理想と憧れを抱え、まだ青かった自分自身に対するセンチメンタルな涙であったかもしれない。

タイムマシンで30年前に遡り、当時の自分に会ったような......。

帰ってきて、いただいた資料を読み、また感激。このあふれるような思いは20年のブランクをものともしない。そしてその思いはどうやっても言語化できない。言語化できないから涙になるのだと思う。


ご縁といえば、もうひとつある。
リトリートの集合場所は信濃追分というローカル鉄道の駅なのだが、信濃追分というのは水村美苗の『本格小説』という小説の舞台になっているということをメールで教えていただいた。

水村美苗さんは『手紙、栞を添えて』で辻先生と往復書簡を交わされた方。早速、軽井沢書店という地元の本屋に行って、軽井沢を舞台にした小説コーナーで『本格小説』を買ってきた。

今年は少しインドを離れて、肉体労働の手も休めて、辻先生の本を読み返してみたい。