ナゾの少女のこと
ある夏の日、6歳になろうとしていた年長さんの私は、近くの子どもたちの遊び場であった鐘撞き堂で、近くに住む同い年の男の子と二人で遊んでいた。私はその子に異性として好意をもっていて、記憶にある初めての「好き」という感情だった。→ラジャス風味が出てきた。
しばらく遊んでいると、その子がうんちしたくなったと言って少し離れたところ(アウトドア)に行ったのね。→それに対してええ?!とか思わなかったのはやっぱりまだサットヴァ?
で、ひとりで待っていたら、突然そこに父がやってきた。バイクにひとりの女の子を乗せて。
この子の名前は覚えていないのだけど、イメージ的にはマキコちゃんだったような......。というのも、マキコちゃんはあるときから見かけるようになったものの、いつの間にか姿を消してしまったから。同じ小学校にもいなかったので、このあとまもなく引っ越して行ったと思われ。
そこで父が写真を撮ってから、うんをして帰ってきた男子におまえは帰れと言って(せっかく楽しく遊んでたのに〜)、マキコちゃんと私をバイクに乗せ(インドかよ的な昭和時代)、今まで入ったことのないビルの屋上みたいなところに連れて行ったのだった。
子どもながらに、なんなんだこの展開は?と思っていたけれど、そこはさすがに子どもなので、マキコちゃんと遊べばそれはそれで楽しかったのだった。というより、なぜかなぜだか、このときばかりはふざけ回ってもちっとも怒られなくて、好き放題にワルふざけさせてもらえたのだ。存分に楽しみつつも、何か解せないものを感じていた。そして、マキコちゃんはどこんちの子だったのだろう。
そのナゾの少女とのナゾの時間のことを考えては、あれこれ妄想をめぐらせている。
もはや誰にも確かめることのできないナゾ。なぜもっと昔に父に尋ねなかったのだろうと思う。なぜ今になってこの子のことが気になるのだろう。ふつうにおすまし顔の写真で見るとマキコちゃんはすごく美形だ。今どこで何をしているのだろう。
たぶん、ワケありだったのだろうなあと私の妄想は結論づける。
以下妄想......
マキコちゃんのお母さんがなんらかの理由で夫の元から逃れ、温泉街の飲み屋で働いていた。その飲み屋で、自分の娘と同い年の子が知らない土地で友達もいないという話を聞いた父が、プルシャと結びついたプラクリティのごとくおせっかいな気持ちを出して、その子に思いっきり楽しいことをさせてやろうと考えた。
......のではないか。
当たらずとも遠からず、のように思える。
この写真は家のどこかにセロテープで貼ってあったようで、剥がした痕が残っている。単に父がカメラで遊びたかっただけかもしれないけど、ナゾの少女には想像力を掻き立てられる。
このころにはもうすっかりちゃみこさんの成分ができあがっていたような気がする。寿司屋のカウンターで「イクラ!」「トロ!」とのたまっていたころだな。三つ子の魂百までとはよく言ったもので、いまだにこんな感じで生きている私です。