天の思し召しで
人間の兄弟がいないので、犬を兄弟代わりに育った私だけど、自分の家で飼っていた犬以外に、心を通わせたコが何匹かいる。
虐待を受けていたところから保護されたニーニャは、人間を信用できないため、ものすごく吠える凶暴な犬だったけれど、わりと簡単になかよしになった。
インドで出会ったタフィーもまた、人を震え上がらせるほどの恐ろしい、そして実際に噛む犬だったけれど、2カ月を一緒にすごすうちに、特別な存在になった。
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最近では、分校のご近所さんちのアルバちゃん。
大人しい子で、最初はシューにも私にも関心なさそうだったけれど、同じ目線で話しかけていたら気が通じるようになった。
もし私が自分の好みの犬を飼うとしたら、大きい犬を選ぶだろう(住宅的金銭的な条件で断念するだろうけど)。そして、犬にはまったく興味のないシューなのに、大型犬だけには好意的に近寄っていく。特にアルバちゃんには。
お昼をごちそうになり、おしゃべりに夢中になっていてふと気づくと、アルバちゃんが私の足元で寝ていた。危うく蹴りそうな距離で。
そんなかわいいアルバちゃんがひと月ほど前に虹の橋を渡ったって。
それを知ったきのうは、思い出すたびに涙がとめどなくあふれてきて、夜にはまぶたが疲れて目が開けていられなくなった。
大きな体に抱きついたときの感触が忘れられない。
話しかけると、ちゃんと聞いてくれていたその顔つきが目に浮かぶ。
シューよりずっと若かったのだけど、みんなそれぞれ生まれ持った寿命があるのだろうね。短いとか長いというのはあまり大した問題ではないんだと思う。どの子も何かしらの運命で飼い主さんのもとに召され、かけがえのない時を刻んだのちにお空に帰っていく。
切ない。
切ないけれど、その与えられた時間を慈しんで受け入れるしかないよね。
地球上に犬や猫がどれくらいいるのかわからないけれど、その中のたった1匹とめぐりあうというご縁こそ、まさに天からの思し召しだ。たぶんシューは、まだその思し召された使命を果たし終わってないだけなのだと思う。
ペットクリニックの先生は、私をひとりで置いていけないと思ってがんばってるんじゃない?と言っていたけど、そんな殊勝な犬じゃないな。ただ、CHAZENの継続という使命のために(そうとは知らずに)長生きしているというのはあるかもしれない。
いつでもその思し召しを受け入れるという態度でいることが、ペットロスを軽減するヒントになると思う。ペットだけでなく、人でも同じ。五蘊は空であるということが理解できなくても、与えられたものを受け入れるという態度でいることができれば、苦しみは最低限にできる。
そして、今このときを存分に生きること。
振り返って後悔しないこと。
アルバちゃん、お空の向こうでシューを待っていてね。
今の様子だとまだ先になりそうだけど、そのときはよろしくね。