ちゃみっ気

ちゃみ&シューの備忘録

ドンちゃんとシューちゃん

先日、座学クラスのコメントで、小学生のときにどうしても欲しいぬいぐるみに出会ってしまって、親に泣きながら訴えて翌週買いに行ったという話を聞いて、ドンちゃんのことを思い出したのだ。

ドンちゃんと出会ったのは、銀座三越であった。
エスカレーターで上階に移動しているとき、エスカレーターの脇に置かれた真っ赤な木の椅子に座っていたのがドンちゃんだった。

想像してくれたまえ。真っ赤な木の椅子に座った白黒のぬいぐるみを。

当時は日本に初めてパンダのランラン&カンカンがやってきて、日本中が空前のパンダブームに沸きかえっていた。上野動物園では連日すごい人が押し寄せて行列をなしていたのだ。時はまさにそのブームのさなかでもあり、たぶんそのディスプレイに心を射抜かれてしまった私は買って欲しいとせがんだ。

かわいい一人娘(当人的見解)が懇願したにもかかわらず「荷物になるからダメ」と軽く切り捨てられた。今思えば、両親にはいろいろと買い物の予定があったのだろうし、宅急便などない時代に電車で帰るのだから、大きなぬいぐるみは迷惑だ。

しかし、そんな親の事情など考えたこともなかった私は、どうしてもその子を連れて帰るぞと、買ってくれるまでそこを動かないという作戦を決行したのだった。

が、子も子なら親も親である。どうぞご自由にとでも言うように私を置いて目指すフロアへと消えていき、心配して戻ってくる様子もなかった。それでも私は三越に泊まり込むくらいの意気込みで、そこに居座っていた。ガチで親子の耐久戦である。

ところが戦況はまもなく想定外の展開を見せた。そのとき一緒にいた、親戚ではないけれど親しくしていたおばさんが、見かねてひとりで下りてきて買ってくれたのだ。

かくして、そのパンダは銀座のど真ん中から群馬の山奥に連れて来られてドンちゃんとなり、夜はベッドで一緒に眠り、朝は布団とともに床の上で目を覚ます毎日を送ることになったのである。めでたしめでたし。


それから40年。
ドンちゃんは自力で座ることもできないほどに、ヨレヨレのフニャフニャになっていた。

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2012年のドンちゃん


それを見た、当時まだ元気だった母が座布団を置いたら?と言うので、いかにも実家柄な座布団をあてがったりしていたら、来たんですよ、いっちょかみ野郎が。

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きさまー! ドンちゃん先輩になんてことを


なんちゅーオレ様っぷり。
ヤキモチなのか、なんなのか知らないけど、母と私とドンちゃんで何かやっているのが気になるらしく、しゃしゃり出てきて、立ちはだかった。

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オレのほうがイケてるし


しまいには椅子を占領。

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ドンちゃんのおちり、かわいい♡


このころから少しずつ実家を片づけ始めていて、ついにドンちゃんを燃えるゴミの袋に入れる日がやってきた。

切ない決断だったけれど、あの日両親が「荷物になるから」と言ったように、スペース的な事情でドンちゃんとお別れすることになった。もしも私がスナフキンを目指していなかったら、あるいは実家がまだあったら、ドンちゃんとお別れするのはもっと先だったかもしれない。

でもね、いつかはお別れの日が来るのだ。遅いか早いかってだけ。


ところで、実家を片づけていたら、小学4年当時の交換日記的なメモや手紙が出てきた。今の子はLINEとかでこういうことしてるんだろうなあ。紙だから自分がなんて書いてたかは当然わからないけど、もらった手紙を見ると、私はいつもドンちゃんとドンちゃんの仲間たちの物語を妄想して書いていたらしい。

紙が昭和記念館的なので、捨てる前に写真を撮っておいた。ほかにも水森亜土ちゃんの便箋とか、プロボウラーの中山律子さんのメモ帳とかw

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さるとびエッちゃんは知らないだろうなあ


それにしても、確定申告から逃避するように昼間っからこんなことを書き綴って喜んでいる私は、50年前ドンちゃんの物語を書いていたころから本質的に変わっていないのだなと気づかされる。今だってついパンダのついているものを買ってしまうし、友達とメッセンジャーとかLINEでスタンプ押しまくって喜んでたりする。

ドンちゃんのように中の綿はヨレヨレになっているだろうに、ね。