ちゃみっ気

ちゃみ&シューの備忘録

見えない存在

今朝起きたら、もんちゃんからメールが届いていました。もう長いこと会っていない友人です。どうやらCHAZENのブログでシューの旅立ちを知り、私のことが心配でメールをくれたのでした。

もんちゃんは20年ほど前に働いていた会社の同僚で、いろいろな悩みを話せる存在だったのですが、お互いその会社をやめて、ほどなくして彼女はシカゴに引っ越してしまったので会うこともなくなっていたのです。

なので、もんちゃんがたまにCHAZENのブログを見てくれていたこと自体「まさか」という感じでした。メールは短い文面だけど、私のことを気遣ってくれるやさしさにあふれていて、朝からそのことばかり考えていたので、今朝のオンライン坐禅会で星覚さんに「シューさん」などと話しかけてしまったほどです。

そういえば、もんちゃんこそシューを飼うきっかけをくれた人物でした。当時、仕事しか生きがいのなかった実家の母が、退職してから何をする気力もないような「うつ」っぽい状態にあり、よくそんな悩みを打ち明けていたのです。

その日も少し遠出してランチしながら、そんなことを話していたように記憶しています。そうしたら、もんちゃんが突然「お母さん、犬を飼ったらいいんじゃない?」と言ったのです。

私が生まれる前から実家ではずっと犬を飼っていて、ときには数頭いたので何十年も犬のいない時代がなかったのですが、前の犬が死んだとき母が60代半ばで、この先は無理だねと「犬仕舞い」をしていました。もんちゃんには犬の話をたくさん聞かせていたので、母が元気になるには犬だと閃いたのだと思います。

もちろん私もそれを考えたことはあるのですが、母の体力や性格から無理だと決めつけていたのでした。もんちゃんに言われてもう一度考えてみたら、しつけなどの面倒を私が見ること、母に何かあったら私が飼うことで、なんとかなりそうな気がしてきました。

母も大喜びです。さっそく犬探しを始めて、将来的に私が飼うことになるのだからと、自分好みの犬を探してきたら母に却下されました。で、最近流行っているテディベアカットの茶色いトイプードルがよいとのことで(仕方なく)そのとおりにしたのでした。

そんないきさつがあったので、Mちゃんはシューが来る前のアケボノ時代から知っているわけです。そう考えると、もんちゃんがときどきブログを見てくれていたのもわかります。わけわからんインド思想のブログだけど、シューの写真を目当てに来てくれてたのだと思います。

ご縁というのはタイミングですから、Mちゃんのあの一声がなかったら、シューはうちの子になっていなかったでしょう。シューとの縁をつないでくれた恩人です。中間では連絡をくれることがなかったのに、最期を見て便りをくれたことにまたグッときます。

当時ヨガを始めたばかりで、まだシャバの憂いをドロドロにまとっていた私が、ランチタイムを大幅に超えて、もんちゃんとそんな話にふけりながら代官山をうろついていたことが懐かしく思い出されます。

なによりもんちゃんからのメールを読んで、黙って見ていてくれる人もいるんだなと胸が熱くなりました。なんだか神様みたいに思えました。こちらからは見えないけど、向こうからはちゃんと見ていてくれる。そういう存在もあるのだなと。

昔はひとりじゃないのに孤独を感じることがよくありましたが、今はひとりでいても孤独を感じることはほとんどありません。友だちは心のなかに存在しています。自分の心のあり方ひとつで楽しくにぎやかにもなれるし、悲しく寂しくもなるのです。

見えない存在が顕在化したことで、またひとつ自分の心を頼りにしていけばいいのだという確信が生まれました。見えないシューに話しかけたあとで、鼻の奥がツーンとしたりはするけれど、それくらいはご愛嬌ということで。

2003年暮れのシュー(生後6ヶ月)と母