寝たきり老犬との旅
1年ぶりにシューさんと車でお泊まりに出てみたら、「車中吠えまくり犬」から「始終寝まくり犬」に変化していた。
出発から道中ずっと寝ており。
また一緒に来れるとは思わなかったよ、と感慨深く思っているヒトの傍でボーッとしており。
夕ご飯をあげたら、突如として正気に戻ったけどね。
笑笑
宿に着いてまもなく爆睡して、朝までぜんぜん起きなかった。いつもは夕ご飯のあとしばらくはグズグズ言うので、静かに寝てくれてありがたかったけど。
朝は5時半ごろ起きてきたが、トイレ&朝ごはんを済ませたらまた熟睡。
せっかく晴れたのに、カートも積んできたのに、お散歩行かないんかい?
ヒーターの効いたあたたかい部屋だから、いくらでも寝られるのかな。
ひとりで散歩に出たら、宿のお隣がかわいらしいパン屋さんで。
7時半の開店時間になるのを待って買いに行ったら、もう順番待ちしてる。
わー、ヤバい。
昨日食べたほうとうに入っていたごろごろ根菜のおかげでお腹は空いてないのだけど、買ったパンを1個だけ食べて(めちゃうま)、寝たきりのイヌをベッドに入れたまま出発。
まずは農産物直売所に寄ってみた。小さな直売所なのだけど、野菜以外にも地元産のお漬物などツボにハマるものが多くて、気づいたらエコバッグに入りきらないほどお買い上げ。しかも、米どころらしく、レジ脇に地元でとれたお米のおにぎり(握りたて)があって私が素通りできるはずがない。レジ打ちしている最中にも、なんか懐かしいお茶を見つけて、それもください!と。
車に戻ってお茶を飲むも、イヌ起きる気配なし。
そのあと、イヌを車に置いて私が何をしようともぜんぜん起きず。
そのうち、お山にかかっていた雲がとれて八ヶ岳が見えてきた。
お昼近くに道の駅へ立ち寄る。さっき何千円分も買ったばかりなのに、またここでも食べ物ばかり購入。ピクニックエリアでランチにしようと、寝ているイヌを抱っこして連れてきたら、死んじゃったかと思うくらいグターッとなったまま。
が、お昼ご飯を出したら、突然目を覚まして、すごい勢いで食らいついたので安心した。
私もお腹が空いてきたので、道の駅で買った太巻きとさっきのおにぎり(大2個)を完食した。あまりにおいしくて......。
帰りは富士山がそれはそれはきれいに見えて、渋滞もなく無事帰還。今回はちゃんと筑土八幡さまにお参りしてから出かけたので、すべてが順調でございました。お守りくださってありがとうございます。
ただ、イヌは帰ってきてからもずっと眠りこけており(もちろんご飯のときは起きるけど)......。
どうしちゃったんでしょうねえ。
車の振動のせいなのか?
ともあれ、また一緒にお出かけできてよかった。
今度は電車に挑戦してみようかなー。
91歳の春だから♪
元祖天才シューちゃん、本日無事四半期ごとの誕生日を迎え、人間換算で91歳になりました。
91歳の春だから、バースデイバナナを進呈(変わったものを食べるとお腹壊すようになったのでケーキはなし)。
まるでお供えしているような図ですが、バナナを置いたら早速気づいて起きました。パクッと食べて、やる気マンマンです。
まだまだお供えには至らず。
M嬢が撮ってくれた写真をメールで送ってくれたのですが、2つめのメールのタイトルが「追伸」となっていたのを「追悼」と読んでしまった老眼のワタクシでございます。
3カ月後には19歳の誕生日が控えております。91歳から19歳の大どんでん返しに向かってファイト〜!
犬らしいことをまったくしなくなりましたが、存在しているだけで元気を与えてくれる91歳です。
ドンちゃんとシューちゃん
先日、座学クラスのコメントで、小学生のときにどうしても欲しいぬいぐるみに出会ってしまって、親に泣きながら訴えて翌週買いに行ったという話を聞いて、ドンちゃんのことを思い出したのだ。
ドンちゃんと出会ったのは、銀座三越であった。
エスカレーターで上階に移動しているとき、エスカレーターの脇に置かれた真っ赤な木の椅子に座っていたのがドンちゃんだった。
想像してくれたまえ。真っ赤な木の椅子に座った白黒のぬいぐるみを。
当時は日本に初めてパンダのランラン&カンカンがやってきて、日本中が空前のパンダブームに沸きかえっていた。上野動物園では連日すごい人が押し寄せて行列をなしていたのだ。時はまさにそのブームのさなかでもあり、たぶんそのディスプレイに心を射抜かれてしまった私は買って欲しいとせがんだ。
かわいい一人娘(当人的見解)が懇願したにもかかわらず「荷物になるからダメ」と軽く切り捨てられた。今思えば、両親にはいろいろと買い物の予定があったのだろうし、宅急便などない時代に電車で帰るのだから、大きなぬいぐるみは迷惑だ。
しかし、そんな親の事情など考えたこともなかった私は、どうしてもその子を連れて帰るぞと、買ってくれるまでそこを動かないという作戦を決行したのだった。
が、子も子なら親も親である。どうぞご自由にとでも言うように私を置いて目指すフロアへと消えていき、心配して戻ってくる様子もなかった。それでも私は三越に泊まり込むくらいの意気込みで、そこに居座っていた。ガチで親子の耐久戦である。
ところが戦況はまもなく想定外の展開を見せた。そのとき一緒にいた、親戚ではないけれど親しくしていたおばさんが、見かねてひとりで下りてきて買ってくれたのだ。
かくして、そのパンダは銀座のど真ん中から群馬の山奥に連れて来られてドンちゃんとなり、夜はベッドで一緒に眠り、朝は布団とともに床の上で目を覚ます毎日を送ることになったのである。めでたしめでたし。
それから40年。
ドンちゃんは自力で座ることもできないほどに、ヨレヨレのフニャフニャになっていた。
それを見た、当時まだ元気だった母が座布団を置いたら?と言うので、いかにも実家柄な座布団をあてがったりしていたら、来たんですよ、いっちょかみ野郎が。
なんちゅーオレ様っぷり。
ヤキモチなのか、なんなのか知らないけど、母と私とドンちゃんで何かやっているのが気になるらしく、しゃしゃり出てきて、立ちはだかった。
しまいには椅子を占領。
このころから少しずつ実家を片づけ始めていて、ついにドンちゃんを燃えるゴミの袋に入れる日がやってきた。
切ない決断だったけれど、あの日両親が「荷物になるから」と言ったように、スペース的な事情でドンちゃんとお別れすることになった。もしも私がスナフキンを目指していなかったら、あるいは実家がまだあったら、ドンちゃんとお別れするのはもっと先だったかもしれない。
でもね、いつかはお別れの日が来るのだ。遅いか早いかってだけ。
ところで、実家を片づけていたら、小学4年当時の交換日記的なメモや手紙が出てきた。今の子はLINEとかでこういうことしてるんだろうなあ。紙だから自分がなんて書いてたかは当然わからないけど、もらった手紙を見ると、私はいつもドンちゃんとドンちゃんの仲間たちの物語を妄想して書いていたらしい。
紙が昭和記念館的なので、捨てる前に写真を撮っておいた。ほかにも水森亜土ちゃんの便箋とか、プロボウラーの中山律子さんのメモ帳とかw
それにしても、確定申告から逃避するように昼間っからこんなことを書き綴って喜んでいる私は、50年前ドンちゃんの物語を書いていたころから本質的に変わっていないのだなと気づかされる。今だってついパンダのついているものを買ってしまうし、友達とメッセンジャーとかLINEでスタンプ押しまくって喜んでたりする。
ドンちゃんのように中の綿はヨレヨレになっているだろうに、ね。
夢のように幸せな
今のところ、激しい病気の心配がないので、2〜3時間くらいは留守にできるようになった。夜もぐっすり眠れて私の体調も戻ったし、何よりシューがよく寝ているのがありがたい。こうなると寝ることが最大の幸せで、毎日夜が楽しみに思えてきた。
嘆いても騒いでも永遠に生きてはいられないのだからと、別れの覚悟は十分できていたけれど、その日までのカウントダウンをすることは身を削るようなものなのだと、腫瘍が消えてはじめて気づいた。気を揉むこともなく、夜中に起こされることがないだけで、こんなに幸福に思えるなんて。
最近のシューは、マイソール中もよく寝ていて、最後の人がいなくなるまで起きないこともある。
おとといのクラス終了後、そんなシューを見ながら「のんきに寝られることがもう幸せで......」などと練習生に話していた。みんなが帰ったあとも寝ているシューをベッドごと日当たりのいいところに移動して掃除をしていた。起きようとして手足をバタバタしていたので、立ち上がりやすいようにヨガマットの上に下ろしてやり、エアコンのフィルターを掃除しながらふと見たら、手足のバタバタが発作に変わっていた。
前回、プチ断食の会のときもよく寝ていたあとだった。そして、発作は必ず睡眠中に始まるので、睡眠状態がトリガーになるのかもしれない。
発作自体は比較的軽く、1時間半後には正気に戻っていた。ヨガマットの上だったし、私が活動中で機敏にペットシーツをあてがったこともあり、後片付けがウェットティッシュ1枚で済んだ。なんといっても、昼間だから私の負担もかなり軽い。
ただ、発作のあとはしばらく神経がおかしくなるので、その夜は1時ごろ起きてしばらく動き回っていた。それでもいつもよりはずっとラク。そして、その翌日はもうイヌもヒトもぐっすり眠れた。
夕方グズグズ言うので抱っこして寝かしつけ、寝たのを見てベッドに置いたら、こんなことになっていた。
そのうちまた何か問題が発生するのだろうけれど、ただいまはシューとぬくぬく眠れる幸せを味わい中。
きょうのお昼寝タイム😱
健康祈願で恵方巻き
近ごろのシューさんは、よく寝て、よく食べ、あと数年は元気でいるような気がしてきた。そもそも、ウチの犬がそんなに長生きするはずないという仮説の立て方が間違っていたな。
シューさんが長生きできてるのは、食欲旺盛でありながら過食にならないよう管理されているからだと思う。同じく食欲旺盛で、管理してくれる人がいない私は、長生きはできまい。
さて、そんな今日は節分だ。シューさんの健康を祈願して恵方巻きを食べよう。
自分にはお米たっぷりの大きな太巻き(誰か管理してくれー)、シューさんには親指サイズのちい巻きを作った。
だいたい北北西に向かって。
さすがの食らいつき。
でも、海苔の消化が気になって、これにて終了。
イヌもヒトも安眠できる毎日でありますように。
えんと
後ろ脚が弱って、特に朝方は立ち上がりにくいご様子のシュー太郎氏なので、こんな座り方をしていることが多い。
その写真を眺めていたら、ふと「えんと」という言葉が浮かんだが、ん? ちょっと待て。これはもしや、群馬以外の人には通じない言葉ではないか?
ググってみたらやっぱりそうだった。子どもに「お座りして」というのを群馬では「えんとして」というのだった。大人には使わない幼児向けの群馬弁。そういえば、うちの親は昔飼っていた犬に「えんと」ってコマンドを出していたわ。笑笑
なんだかなつかしい。それに「えんと」って響きがかわいい。
群馬で話す言葉は標準語のふりをしているので、特定の地域や年配の人が使う「いかにも」なやつを除けば、自分が話しているのが方言とは思ってなかったりする。「そうなんさ」が群馬弁だと気づくのは、群馬を出てからなんさね。
今でもときどき思い出すのは、中一のときの数学の先生が、この「〜なんさね」全開で授業をされていたこと。ぜんぜん洒落っ気がない独身女性だったけど、いい先生だったな。半世紀近くたっても記憶に残っているというのはすごくインパクトの高い授業だったってことで、それだけで教師として成功しているのかもしれないと思った。
なじみのない地方の方言には味があっていいなあと憧れてきたけれど、群馬弁も今思えばそれなりに味あるわ。
さて、「えんと 群馬」でググったら、おもしろいサイトを見つけた。
この群馬弁ページ見て思い出したのが「おっことす」。
ウケる〜。「落とす」がなんでそうなるん? でも普通に使ってたわ。
そういえば私、それをつい「おっとこす」って言っちゃってたんさねー。
そういえばその2、何年か前、シューが床に寝ていて思わず「ふんづぶしちゃうよ」って口走ったことがあるんさ。「踏みつぶす→ふんづぶす」だろうけど、まー、きったねー言葉になるんさねー。それが群馬なんさ。
そういえばその3、なんでも群馬弁カルタができたというニュースを見たばかり。
みなさまもぜひ故郷の言葉で『えんとつ町のプペル』を読んでみて。
シューたんの「えんと」三景。
「えんと」しよっても、こんイヌば岡山出身じゃけえ。
陽だまりスパ
先日の発作以来は特に問題がなく、イヌもヒトもぐっすり眠れて元気に過ごしている。
それでは!
いざ!
New Yorkへ!
実は11月末に身体を洗ったその晩に発作が出たので、以来入浴を控えていた。顔や脚、お尻やお腹まわりなど汚れが目立つところは部分洗いしたり、ウェットティッシュで拭いていたけれど、ふだん服に覆われている部分は2カ月近く洗っていない。さすがトイプードルなのでそれでも動物臭はしないのけれど、いくらなんでもそろそろ洗いたいと思っていた昨日の朝、「そうだ、陽だまり作戦!」というひらめきを得た。
前回は脱衣所にヒーターを入れて対処したが、お湯や湯気で温まったお風呂場との温度差で寒く感じた。トロピカルな暖かさにしないと、濡れた身体はすぐ冷えてしまう。が、そこまでガンガンに暖かくする方法が見つからずにいたのだ。
風呂場を温めるのでなく、暖かいところを風呂場にすればいいのだった。日が差す時間ならそこはもう暑いくらいになるのに、どうしてもっと早く気づかなかったのだろう。
つーわけで。ビニールシートを広げて、バケツでお湯を運んで。
エアコンもつけてヒトが汗ばむくらいの温度にしておいてから、目にも止まらぬ早業で身体を洗い、拭き、ドライヤーで乾かして、15分でいっちょあがり。同じ場所ですべて行えば温度差がないから、これでストレスはミニマム化されたはず。
ミニマムではあっても疲れたらしく、服を着せたら突っ伏してお休みに。
午前中に終わったので、そのあとたっぷりお昼寝して、夜もぐっすり眠り、発作もなく、陽だまりスパ作戦は大成功。
最近気になるのは足腰がさらに一段と弱ってきたこと。ご飯をもりもり食べているのに痩せる一方で、どんどん軽く小さくなっていく。老いるということは、そういうことなのね。腫瘍みたいな激しいのよりずっといいけども。