ひなまつりでシュー
シューちゃん元気ですか?
きょうはひなまつりの日だね。
シューは男の子だから関係ないっちゃあ関係ないんだけど、Smileのアルバムを見たらひなまつりバージョンがあったので、今朝のオンラインレッドクラスは、ピンクの桃のお花バックのシューちゃんに見守ってもらったよ。案の定、参加者は少なかったけど、東京は花粉がすごいらしいから、起きられなかったのかなー。
オンラインのレッドクラスは、ちょっとやりにくいんだ。呼吸の音が聞こえないからね。「りんじょうかん」ってわかる?
同じ空気を吸ってないと、なんだか他人行儀なカウントしてるみたいで居心地がわるい。こんなんでいいのかなーって思うけど、毎月やってほしいって。熱心な練習生がそう言うなら、ちゃみこもがんばろうと思った。
今度久しぶりに東京に行くんだよ。
シューがいるからそんなには行けないって言ってたのに、シューがいなくても行ってなかった。てへへ。
でも、シューがいないとバスで行けるから楽ちんだ。高速バスに乗るのは、ずいぶん久しぶりだな。たぶん、シューと河口湖に行ったときぶり。15歳の誕生日旅、楽しかったなあ。
シューが元気なうちに、楽しい旅をしておいてよかったよ。だからどうってことないんだけどさ。思い出し笑いができるからいいよ。お風呂のガラス戸にぶつかったシューとか、何度思い出しても笑えるもん。
あれ、なんの話だっけ。そうそうひなまつりだった。
ちっこいおひなさまが出てきたから飾ってみたよ。トリプルおひなさまとシュー。3月なのにサマーカットさせちゃってるね。今さらながらお詫び申し上げます。
じゃあまたね。
美術館へ
シューちゃん元気ですか?
お山はまだまだ寒いけれど、少しずつ春の兆しが増えてきたよ。
こないだ、美術館に行ってきたんだよ。
「劉生・麗子・夏子」っていう展示があってね。シューはおいしいものと女子高生にしか興味ないから知らないと思うけど、岸田劉生っていう昔の画家の人がいて、そのおじさんの娘の麗子さん、そのまた娘夏子さんの3人の画家という企画に興味をそそられたんだ。
韮崎大村美術館は、うちからわりと近かった。とても小さな美術館だけど、街外れだから静かで、2階のティーラウンジからの八ヶ岳の眺めも最高で気に入った。大村美術館ていう名前だったから、きっと大村さんというお金持ちのコレクターさんがいるんだろうなあと思っていたら、大村さんはあの、ノーベル賞の大村智さんだったんだ。
シューがいつも飲んでたフィラリアの薬。おいしいからシューが大好きだったアレ。一粒3千円もするから、一度間違えて捨てちゃったとき、ゴミ箱を漁って探し出したあのお薬ね。あれが大村さんの発見したイベルメクチンだったんだね。コロナでイベルメクチンという名前を聞くようになって初めて認識した。
大村さんは、小さい頃たいして勉強もしなかったんだって。スキーのノルディックなんかもしてたみたいだし、美術品を集めたり、いろいろな方面に興味がある人なんだね。おかげで、薪作りとかゴミの片付けの日々に、ゆるりと文化的なひとときが過ごせたよ。
東京の美術館は人が多すぎて疲れちゃうけど、小さな美術館はひとつひとつの作品とじっくり向き合うことができていいんだ。それに、今は車の中で怒ってワンワン言いながら待っている犬がいないから、ゆっくりできてありがたいよ。
今となっては、待っていてくれる存在があることがありがたかったんだと思うけど、いればいたで文句を言っていたのに、いないと寂しくて仕方ない。ほんとうに勝手なものだ。そろそろシューちゃくも卒業しようと思ってるけど、それは決意してもムダで、気づいたらシューちゃくしなくなっているっていうものなんだよね。
そういえば、昨夜の夢になんでもない役で登場してたね。来てくれてありがとう。きょうも1日がんばるよ。
夢で会えたけど......
シューちゃん元気ですか?
きょうは朝からしんしんと雪が降ってるよ。雪国みたいな降り方で、もうずいぶんどっさり積もってる。
でも、きのうはたくさん薪を切っておいたし、シューちゃんと何回か一緒に行ったあのリサイクルセンターまで粗大ゴミを出しに行って、帰りに食料も買っておいたから大丈夫。薪と食料があればとりあえず安心だ。きょうは外で作業できないから、ずっとストーブの前でぬくぬくしている。
こないだのお手紙にシューが夢に出てこないって書いたら、さっそく来てくれたね。だけど、通行人みたいな役だったから、よく憶えてなくて、惜しいなあと思ってた。そしたら今度は、ちゃんと主役で登場した。
だけど「違う。私が見たかったのはシューが元気で楽しそうにしている夢なんだ」って気づいた。夢に出てきてとか言っておきながら、ずいぶん勝手だよね。
その夢はいつものようにバカげた設定だった。
ちゃみこが忙しいんで何日かかーちゃんのところにシューを預けていて、その間にシューが死んじゃってないか気になっているんだけど、なぜかすぐシューを見に行かないでおしゃべりなんかしている。そろそろお風呂に行こうかという段になってやっと、どきどきしながらシューのいる部屋に入った。そうしたら、いつものベッドの上に寝ているシューは、べっこう飴みたいにぺちゃんこになっていた。ああ死んじゃったのかと思っていたら、むくっと顔だけ持ち上げて眠そうに目を少しだけ開いた。よかった、生きてたと抱き寄せているうちに、ぺちゃんこだったシューがだんだん立体的になって、犬の形に戻っていった。手のなかでシューのぬくもりを感じながら、オンオンとうれし泣きしているところで目が覚めたんだよ。
シューが元気なときにも何度かこんなふうな夢を見たことある。でもそのときは、起きたとき「なんだ夢だったんだ」とほっとしたのに、今は逆だもの。よけいかなしくなっちゃうじゃないか。
夢で会いたいなんて欲を出したからだね。反省する。
雲になったシューが笑っている写真を見たら十分なのに。誰かが来たとき、シューの思い出話をするだけで楽しいのに。
これからは写真でがまんしとくよ。もっと写真をたくさん見よう。だから、もし夢に出演するときは、喜劇でよろしくたのむよ。
去年、寝かせておくとブーブーワンワン言うので、よく抱っこしながら机に向かっていた。寝ているときのシューは、おじいちゃんなのに赤ちゃんみたいにあどけないね。
それはそうと、今見たら、私のフリースベスト、こっちにきてから薪ストーブの灰やら煤やらで真っ黒になったと思ったけど、このときすでに黒いわ。最初はシューと同じ色だったはずだけど。
トウモロコシで見つかったおざらの写真
シューちゃん元気ですか?
今朝、ふっと、なんでかわからないけど、トウモロコシに喰らいつくシューちゃんの顔が見たくなって、昔のブログ記事を検索していたら、こないだ探していた別の写真が出てきたんさね。
いつかシューちゃんと一緒に入ったほうとう屋さん覚えてる? 犬連れOKだから(ほかに選択肢がなく)入ったんだけど、今まで行ったなかでは、この店がいちばんおいしかった。シューのおかげだったんだね。ありがとう。
っていうのもさ、こないだ、くみこさんとほうとうを食べに行ったとき、おざらを頼んだら、麺もつけ汁もこれとはぜんぜん違うのが出てきたんだよ。それで、iPhoneにこの写真が保存されてるかもと探したけどなかった。あの揚げ野菜たっぷりのつけ汁がまた食べたいから、今度清里まで行くことがあったら寄ってみよう。でも、おざらは夏だけかな。
そういえば、最近よく近所の八木さんに会いに行くから、あの旅の最後に行った牧場でシューがひたすら草を食んでいて羊にドン引きされたことも思い出してたんだ。
一度くらいシューを八木さんちに連れて行ってあげたかったな。
さて、かんじんのトウモロコシ写真。
こんときのね。
それまで平気でトウモロコシをあげていたけど、犬にあげてはいけない食べ物リストに入っていた。愛犬ブログでこんな写真をアップしたら、ソッコー炎上するわな。シューはめったに具合悪くならなかったから、なんだってあげてたし、あげなくても勝手に食べてたよね。でも、このときは調子悪くなったんだった。テキトーすぎる飼い主だったことを今さらながらお詫びするよ。
毎日シューに会いたいなあって思っているのに、ぜんぜん夢にも出て来てくれないね。後悔したくないと思ったから、あんなにあちこち出かけてたけど、思い出じゃなくて、ほんもののシューに会いたいんだ。
だけど、お山の生活は忙しくて、シューがいてもかまってられないから、きっとワンワン怒っていただろうね。それに、今シーズンは寒すぎるから、老犬にはキツかったと思う。寒い思いをしなくてよかったね。今はきっとお空でぬくぬくしながら、みんなのこと見ているんだろうな。
もっとたくさんお手紙書きたいと思ってたけど、薪小屋の片付けに追われていてさ。気づいたら薪小屋はすっきりしたけど、4月までもたないことにも気づいたよ。お山の暮らしは毎日がたいへんだ。でも、シューのこと思い出して笑いたいから、またお手紙書くね。
見えない存在
今朝起きたら、もんちゃんからメールが届いていました。もう長いこと会っていない友人です。どうやらCHAZENのブログでシューの旅立ちを知り、私のことが心配でメールをくれたのでした。
もんちゃんは20年ほど前に働いていた会社の同僚で、いろいろな悩みを話せる存在だったのですが、お互いその会社をやめて、ほどなくして彼女はシカゴに引っ越してしまったので会うこともなくなっていたのです。
なので、もんちゃんがたまにCHAZENのブログを見てくれていたこと自体「まさか」という感じでした。メールは短い文面だけど、私のことを気遣ってくれるやさしさにあふれていて、朝からそのことばかり考えていたので、今朝のオンライン坐禅会で星覚さんに「シューさん」などと話しかけてしまったほどです。
そういえば、もんちゃんこそシューを飼うきっかけをくれた人物でした。当時、仕事しか生きがいのなかった実家の母が、退職してから何をする気力もないような「うつ」っぽい状態にあり、よくそんな悩みを打ち明けていたのです。
その日も少し遠出してランチしながら、そんなことを話していたように記憶しています。そうしたら、もんちゃんが突然「お母さん、犬を飼ったらいいんじゃない?」と言ったのです。
私が生まれる前から実家ではずっと犬を飼っていて、ときには数頭いたので何十年も犬のいない時代がなかったのですが、前の犬が死んだとき母が60代半ばで、この先は無理だねと「犬仕舞い」をしていました。もんちゃんには犬の話をたくさん聞かせていたので、母が元気になるには犬だと閃いたのだと思います。
もちろん私もそれを考えたことはあるのですが、母の体力や性格から無理だと決めつけていたのでした。もんちゃんに言われてもう一度考えてみたら、しつけなどの面倒を私が見ること、母に何かあったら私が飼うことで、なんとかなりそうな気がしてきました。
母も大喜びです。さっそく犬探しを始めて、将来的に私が飼うことになるのだからと、自分好みの犬を探してきたら母に却下されました。で、最近流行っているテディベアカットの茶色いトイプードルがよいとのことで(仕方なく)そのとおりにしたのでした。
そんないきさつがあったので、Mちゃんはシューが来る前のアケボノ時代から知っているわけです。そう考えると、もんちゃんがときどきブログを見てくれていたのもわかります。わけわからんインド思想のブログだけど、シューの写真を目当てに来てくれてたのだと思います。
ご縁というのはタイミングですから、Mちゃんのあの一声がなかったら、シューはうちの子になっていなかったでしょう。シューとの縁をつないでくれた恩人です。中間では連絡をくれることがなかったのに、最期を見て便りをくれたことにまたグッときます。
当時ヨガを始めたばかりで、まだシャバの憂いをドロドロにまとっていた私が、ランチタイムを大幅に超えて、もんちゃんとそんな話にふけりながら代官山をうろついていたことが懐かしく思い出されます。
なによりもんちゃんからのメールを読んで、黙って見ていてくれる人もいるんだなと胸が熱くなりました。なんだか神様みたいに思えました。こちらからは見えないけど、向こうからはちゃんと見ていてくれる。そういう存在もあるのだなと。
昔はひとりじゃないのに孤独を感じることがよくありましたが、今はひとりでいても孤独を感じることはほとんどありません。友だちは心のなかに存在しています。自分の心のあり方ひとつで楽しくにぎやかにもなれるし、悲しく寂しくもなるのです。
見えない存在が顕在化したことで、またひとつ自分の心を頼りにしていけばいいのだという確信が生まれました。見えないシューに話しかけたあとで、鼻の奥がツーンとしたりはするけれど、それくらいはご愛嬌ということで。
お花をもらったよ
シューちゃん元気ですか?
今は何してるのかな?
おやつ? おひるね? それとも運動?
きのう、あっこちゃんが大泉のほうまで来たんだよ。
いつものようにヨガスタジオのいい匂いがする車に乗ったら、かわいらしいお花が生けてあって、新潟のお友達が庭の野草を摘んでアレンジしてくれたんだって。
で「シューちゃんに」って。
シューちゃんにお花を送りたいって言ってくれる人には、シューのお骨も写真も置いてないから、自宅に飾ってシューのことを思ってもらうようにしてるんだ。
だって、もうそのあたたかい気持ちだけでここは百花繚乱になるんだから。
だから形のあるお花をいただいたのはこれが初めて。
さすがに献花するにはやっぱりシューちゃんがそこにいないとだなと思って、いつもSmileで撮ってもらっていた写真から一枚取り出して飾ってみたよ。お芋掘りのときやつ。写真立てがすぐ出てこないから間に合わせだけどね。
それにしてもあっこちゃん、なんでちゃみこが野の花が好きなのわかったんだろう。
4年前のシューは、見た目はまだぜんぜん若かったんだね。
それに、こんときの体重4.85キロだったよ。
こないだはシューが急にいなくなったからびっくりして、一緒にお空までついていきたくなったけど、それじゃあ留守番できないシューとおんなじだ。恥ずかしいね。
だけど、シューはもう絶対的な幸福を手に入れたし、いつだってそこにもここにもいるんだって納得したら、ぜんぜん平気になった。
それに、ブログに残っているシューの写真を見ているだけで幸せな気持ちになれるんだ。シューの姿が見えないことはもう気にならなくなって、シューと一緒に過ごした時間だけで満たされるなんて不思議だね。
こんなのとかさ。見たら絶対口元ゆるむよ。
今日は一日中雨降りだけど、家中がいい匂いに包まれている。
あっこちゃんがヨガスタジオの匂い=ラベンダーのエッセンシャルオイルを持ってきてくれたんで(何から何まで......)早速ディフューザーをセットして、ずっとつけっぱなしにしているからだよ。
そうそう、先月だったか、シューちゃんがそこまで歩いて行ってはまり込んで、毛がエッセンシャルオイル漬けになっちゃったんで外しておいたアレ。シューがいないといろんなことが楽でびっくりするよ。
きのうなんか8時間以上出かけてたんだから。何年ぶりだろうなあ。むかしのシューだったら大暴れしてたね。
それじゃあ、またお手紙書くからね。
たまにはまた雲になったり、夢になったりして会いに来てね。
どこまでも後悔
夢を見ていた。
シューがそこにいて、「なんだ、こっそり帰ってきたんだね」と抱き上げたシューは、ふわっとしてあったかかった。
そのシューは私以外の人には見えないらしく、抱っこして歩いていても街の人はシューに気づかない。
ところが私以外にもシューが見える人がいた。元の飼い主である母だ。
母は他の人には見えないシューに当たり前のように話しかけてお世話を始めた。
............もしここで目が覚めていたら起きてまた嗚咽していたかもしれないけれど、夢は続いた。
シューに気を取られていたら、すごく楽しみにしていた仏教学の授業のことを忘れていたことに気づき、時間を確かめると、もう終わってしまっていた。「やっちまった〜!」と落胆しているワタシ。
願望夢であるとともに、なんだか暗示的。
シューのことばかり考えて大事なことを疎かにしなさんなよという、母からの警告に思えた。
それにしても、これまでの人生で後悔したことはあまり記憶にないのだけど、今回ばかりは後悔に次ぐ後悔、たらればのオンパレードの後悔だらけ。しかも、今日また小さな後悔がやってきた。
シューにお花を手向けてあげたいと思ったけれど、あいにく野の花もすべて枯れた季節で一輪の花も咲いていない。里まで下りて買いに行こうかとも考えたが、花屋がどこにあるかもわからず、遠くまで買いに行くくらいならずっとそばにいてあげたいとあきらめた。
今日、ふとウッドデッキから下を見たら、あるではないか!
地面を這うように咲いていた野菊。
どうして「ない」と決めつけたのか。一応探してみればよかったじゃないか。何から何までしくじった。
ま、これは生きてる人間の気持ちの問題なので、シューは痛くも痒くもないからよしとしよう。
と、いつもの「ま、いいか」が出てくるくらいには平常心を取り戻した。そこで「伊達に修行はしてないぜ」とうぬぼれるあたりが隙をつくる所以であるが。